感動した詩「育児に疲れたお母さんに送る詩」

子育てをした経験のあるママなら思わず涙せずにはいられない

そんな詩をSNSで見つけたので投稿します。

私も子育てをしていた当時を思い出して号泣でした。

物事には必ず最後がある。

最後の授乳、最後の参観、最後の送迎、最後のお弁当に最後の卒業式

でも最後だとはわからずにこの生活が永久に続くように思えたあの頃。

最後があることがわかっていたら、あと一日、もう一日だけと

一日一日を愛おしく過ごせたのかもしれない。

  • 『ママの毎日』

    独身の頃、ヒールの靴が好きだった

    お酒は苦手だったけれど
    友達と過ごすお酒の場の楽しい雰囲気が好きだった

    好きな音楽はミスチルで
    いつもウォークマンに入れて好きな時に聴いていた
    電車の中でゆっくり本を読むのも好きだった

    お風呂では半身浴をして
    美容院には2ヶ月に1回は必ず行っていた

    お化粧するのも好きだった
    1人で行く映画館が好きだった

    流行りの雑誌を買い
    流行りの曲を聴き
    流行りの服を着て
    流行りの場所へ好きな時に出かけた。

    そんな私は今
    泥だらけのスニーカーを履き
    子どもたちの着替えやオムツが入った大きなバックを肩にかけ
    ちゃんとした化粧もせずに髪を一つにくくり
    毎日子どもたちの手を繋いで公園へ散歩に行っている。

    聴く曲はミスチルからアンパンマンマーチに変わった。

    眺めているのはファッション雑誌から
    子どもの母子手帳や幼稚園からの手紙に変わった。

    考えていることは今日の夕飯のメニューと
    長女が幼稚園から帰ってきたあとのおやつ、
    お風呂、夕飯の流れの確認。

    今日の天気で洗濯物が乾くかどうかと
    明日の長女の遠足が晴れるかどうか。

    最近眠くなると激しくぐずる長男を
    昨日つい怒ってしまったから
    今日は早く寝かせてあげよう。
    今日は怒らないでおやすみをしよう。

    そんなこと。

    毎日押し流されるように迫ってくる日常があるから

    キレイに片付いた部屋も
    大の字で朝まで眠れる夜も
    ゆっくり塗れるマスカラも
    なんだかもう思い出せない。

    そう。
    思い出せないから
    私たちはつい忘れてしまうのだ。

    この毎日がずっと続かないということを。

    1人でゆっくりお風呂に入れるようになったら、湯船の中あなたと向き合い数を数え柔らかく響いたあなたの声を私は思い出すのでしょう

    1人で好きなだけ寝返りをうち眠れるようになったら、どこまで寝転がっても隣にいないあなたのぬくもりを私は探すのでしょう

    好きな音楽のCDを好きなだけかけられるようになったらこの部屋の中に溢れていたあなたの笑い声を思い出して私は泣くのでしょう

    好きなだけお化粧に時間をかけられるようになったら私の洋服をひっぱり膝の上によじ登り、私のやることなすことをお邪魔してくるあなたのその小さな手を思い出して私は泣くのでしょう

    好きなだけヒールが履けるようになったら、笑い転げるあなたを追いかけて走り回り泥だらけになって遊んだあの空を思い出して私は泣くのでしょう

    自分とパパの洗濯物だけを回す日々が訪れたら、砂まみれの靴下もおしっこを失敗したズボンも牛乳をひっくり返したシャツも洗濯カゴにないことを知って私は泣くのでしょう

    あなたの足音がしない部屋の掃除機をかける日が訪れたら、粉々になったビスケットの食べこぼしも小さなおもちゃの部品もあなたの細い柔らかい髪の毛も落ちていないことを知り私は泣くのでしょう

    1人で好きなことを好きな時に好きなだけ出来るようになったら、どんな時も「ママ」「ママ」と私を呼び、どんな時も私のことを探しているあなたの姿を思い出して私は泣くのでしょう

    一体いつまであるのかな
    一体 いつまでここにいてくれるのかな

    そして

    そんなことを考えているうちにまた今日も終わってしまった。

    私たちの日常は「子どもが側にいる『今』」だから
    子どもから離れて1人になれた瞬間が特別に感じて好きなことを堪能できる喜びを噛み締めるけれど

    でも自分の人生を考えてみたら
    【特別なのは本当は子どもが側に生きているこの毎日の方】

    でも 私たちはそれを忘れてしまう。

    なんだかずっと続くような錯覚を起こして毎日を過ごしているけれど、大変に思えるこの毎日に数えきれない『愛しい』が散りばめられていることを

    私たちは いつか知るのです。

    子どもたちがこの世に生まれてから今日までママとパパのために全身を力いっぱい使って思い出を撒き散らしてくれていたことに私たちは 過ぎてから気付くのです。

    ママの毎日は、ママでいられる毎日です。

    私たちはこの命が尽きるまでどんなに子どもと離れていても子どもを思い、心配し、愛し続ける 子どもたちの母親だけれど

    でも子どもたちの側で『ママ』でいられることの出来る日のなんて短いことかをいつか思い知るのでしょう。

    今日もあなたは屈託のない笑顔で振り向き「ママ!」と言って両手を広げて こちらに飛び込んでくる。

    忘れるものか。

    絶対に。絶対に。

    あなたの前髪を切り過ぎて笑った昨日を。
    あなたを怒って自分に涙が出た今日を。
    あなたの寝相に笑った夜を。
    あなたが摘んでくれたシロツメクサの白さを。
    あなたに許された私を。
    あなたがいてくれるこの毎日を。

    私は 絶対に忘れない。

    ミスチルも好きだけどEテレの歌に感動することを知った
    ヒールも好きだけどスニーカーの安心感が好きになった
    自分のことが一番大切だったそんな私に自分の命よりも大切だと思える存在がこの世にはあると教えてくれた

    子どもたちに心から感謝を。

世の中のつらい仕事のうち、母親業だけはおばあさんになっても

もう一度やってみたいと思うそうです。